自殺未遂を2回ぐらいやった石井竜也


jiikiteru_20140302_01_002

映画監督など歌手業以外に挑戦して失敗。

上京し、美術学校の学生だったときに結成したバンド「米米CLUB」で1985年にデビュー。

JALのCMソングにもなった「浪漫飛行」(90年)や「君がいるだけで」(92年)などが大ヒットしたが、97年に解散した。

ここからが石井さんにとって厳しい時期だった。90年代後半、解散を前後して、ソロ歌手での活動のほか映画作品、「河童」(94年)、「ACRI」(96年)の監督など幅広い分野の活動にチャレンジしていたのだが、その結果10億円にもなる借金を背負ってしまったというのだ。

父親からの電話「お前はたぶん今人を恨んでるだろう」

人間不信に陥り、仕事のために家から出ようと思っても過呼吸になってしまう。

家では窓を閉め切り、「もうおかしくなりそうだった」と振り返る。そして、「俺、いない方がいいかも知れない」と思い詰めてしまい、

「自殺未遂を2回ぐらいやっていますね」

「刃物見るとやばいんですよ、死ぬこと考えるんですよ」。

そんな石井さんを救ったのが、3年前に亡くなった父親だった。

元々あまり喋るタイプではなかったが、ある日突然電話をしてきて、
「お前はたぶん今人を恨んでるだろう。お前は今夢を売って、夢を作ってきたんじゃないか。人を恨んだり憎んだりして良い作品ができるか? そういう作品はお父さんはみたくない。自分がやってきたことを信じなさい。(中略)金なんてものは結局心がないものだろ?

そんな心のないものにお前は命を預けちゃうのか。こんなくだらないものに命を預けるなんて、お前はそこまで馬鹿じゃないよな」

と、たんたんと語ったという。

この言葉で「死ねない」と思い、それからは必死の思いでコンサートをした。

「いいじゃないか、借金があっても。多少あった方ががんばれるわちょっとベクトルを変えただけで、人っていうのはこんなに強くなれる」と話した。

米米CLUBは2006年に再結成され、2012年春にも全国ツアーを行っている。

「仕事」, 「父親」の人気記事はこちら

過去の記事を全て一気に読みたい

全記事一覧はこちら

Facebookでファンを募集しています。

いいね!を押して頂けると、今悩んでいる人にあなたのメッセージがそれとなく伝わります。

コメント

  • トラックバックは利用できません。
  • コメント (0)
  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


カテゴリー

ページ上部へ戻る