母のことが本当に大好きだった昭和の頑固オヤジ


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私の母は、私が10歳の時に亡くなりました。

乳癌でした。
病気が発覚し、わずか1ケ月後のことです。

自営業をしていた父は、毎朝3時に起き、仕事をし
私と、8歳と4歳の妹を
男手一つで育ててくれました。

そんな父を見かねて、
親戚・知人は父に再婚を勧めましたが、
父は、「娘達が新しい人と苦労するのなら、
自分が苦労してでも、娘達を育てる」 と
言って聞かなかったそうです。

自宅で仕事をしていたとはいえ、
台所に入ったことのない、洗濯をしたことのない
昭和の頑固オヤジの父にとっては、
どんなに大変だったかと思います。

それまで、学校行事に来たことのない父が
先生との面談、授業参観、入学式・卒業式と
私達に何の引け目も無い様にと
いろいろな行事にも出てくれ
本当に 私達姉妹は、何不自由無く、育てて貰いました。

その父も17年前に脳腫瘍になり、
医者からは余命半年の宣言を受けました。

父の入院中、3度の食事には、
必ず誰かしらが傍に居るようにし
限られた時間の中で、他愛もない会話を楽しんでいました。

7月に入院・手術を受けた父は、年末年始には
かなり状態が安定し、家族全員で旅行に出かけられました。

初日の出に願うことは1つ、
” 大事な父を私達から奪わないで下さい…”

それでもやはり、父の病状は悪化し
再び入院。

6月の父の日には、軽量のスニーカーを
3人でプレゼントしました。
既にベッドから起き上がるのも難しくなっていましたが、
父は、「これを履いてまたみんなで旅行に行こう」と。

私達の思いを察しての言葉だったのでしょう。

それから間もなくして、
親戚・知人・そして妹二人の顔までも解らくなりました。

なぜか私と私の娘だけを理解しているようでした。

7月7日の七夕の日に昏睡状態に陥り、
7月9日死去

死に際に父の耳元で
「ありがとうお父さん、大好きだったよ!!」
穏かな顔をしている父の目からは、一筋の涙が。

父が亡くなってから看護師の方が、
私を34歳で亡くなった母と
私の娘を母が亡くなった時に4歳だった妹と
勘違いしていたのでは、と。

夜勤の際に、寝ないでいる父に声を掛けたら
上手にしゃべれなくなっていたのに、
「うちのが…  下のが…」
恐らく、家内が下の娘を連れてくるから待っている と
言いたかったのではないかな、と続けて話してくれました。

納得できました。
私は、32歳になっていて、母に一番似ていて
私の娘も丁度4歳でした。

昭和の頑固オヤジは、
口に出さなかったけど、母のことが
本当に大好きだったんだね。

お父さんへ
お母さんと仲良くやっていますか?

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