言語障害のノブと、脳腫瘍を患ったタケシの11年間の生涯と絆


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母親として、また学校のカウンセラーとして、私は子供たちが並々ならぬ友情で結ばれている姿を目にすることがよくある。

私の息子「ノブ」と友達の「タケシ」もそうだった。

二人のきずなは類まれなものだった。

息子のノブは言語障害があったうえに、運動面でもかなりのハンディを抱えていた。
四歳のとき、学齢前の特別クラスでタケシと出会った。

タケシは脳腫瘍のため、やはり発育が遅れていた。

二人は合ったとたんに意気投合して、無二の親友になった。

二人とも、会わない日は一日もなかった。

タケシが脳幹に腫瘍ができていると診断されたのは、その二年前だった。

その後、難しい手術を何度か繰り返したが、完全に取り除くことはできなかった。

はたして、クラスのみんなと遊んでいるときなど、タケシが足を引きずって歩くのが目立つようになった。

検査の結果、腫瘍がだんだん大きくなっていることが判り、またしても、手術を受けることになった。

しかも、東京まで行かなければならない。

ノブとタケシは、このころ、素晴らしい先生に恵まれていた。

二人が「キョーコ先生」と読んで慕った女の先生だった。

長年、学校のカウンセラーとしていろいろな先生を見てきたが、彼女は実に立派な先生だった。

キョーコ先生は、クラス全員にタケシが手術をすること、そのために東京まで行くことを説明をした。

ノブはとてもショックを受けて、泣いた。

無二の親友が飛行機でそんな遠くに行くなんて、しかも医者に痛い目に遭わせられるなんて、たまらなかったのだ。

出発の日、タケシとお別れをした。

涙がノブの頬をつたって落ちた。

キョーコ先生は、ノブとタケシが二人だけでさよならを言えるようにしてやった。

ノブは、親友ともう二度と会えないのではないかと不安だった。

タケシは、息子のノブよりきゃしゃで背も低かったので、ノブの胸のあたりまで伸び上がるようにして抱きしめると、目を見上げて慰めるように言った。

「心配ないよ、だいじょうぶ」

手術はきわめて危険なものだったが、タケシは切り抜けた。

何週間も何週間も経ってから、学校に戻り、ノブとタケシのきずなは前にもまして強くなった。

その後の数年間に、タケシはもっと危険な手術を何回も受けなければならず、試験的な薬も投与された。

そのたびにタケシは副作用に苦しんだ。

タケシは車いすに乗るようになり、細い身体を人に運んでもらう生活になった。

こんなタケシにも好きなスポーツがあった。

校内マラソンである。

彼はできる限り参加した。

ある年は、車いすを母親に押してもらって、
「ママ、もっと速く、速く!」
と叫んだ。

またある年には他の子の父親に肩車してもらって参加した。

でも、タケシが11歳になる頃には、腫瘍は全身に転移していた。

今まであらゆる治療に耐えてきたが、もう打つ手はなかった。

その年の3月9日、キョーコ先生はノブに電話をかけ、こう言った。

「あなたの親友タケシに、今度こそ、心からさよならを言いなさい。お別れの時が来てしまったの」

タケシは自宅に帰ってきていたが、もう望みはなかった。

ノブも11歳になっていた。

身体はずいぶんじょうぶになったが、学習面ではまだ遅れており、マラソンも不得手だった。

でも、キョーコ先生からの電話からの電話があった日、彼は校内マラソンに参加した。

風邪と喘息の治りかけだったが、
「どうしても学校に行かせて」と、私を口説き落としたのだ。

その日の午後、学校に迎えに行くと、彼は息をすると肺がヒリヒリと痛いと言った。

手には表彰状とピカピカの一等賞のリボンを持っている。

その表彰状にはこう書かれていた。
「5年生の一等賞。受賞者ノブ。これを親友タケシに捧げる」

ノブはいわゆる仕切りたがる子と違って、自分の言い分を通そうとすることはめったになかった。

でも、その夜は、どうしてもタケシに会いに行くと言ってきかなかった。

タケシのお母さんが、投薬の合間に合わせてくれた。

タケシは家族が団らんする部屋でベッドに横たわっていた。

柔らかな明かりが天使のようなきゃしゃな身体を照らし、部屋には教会の音楽が流れていた。

ガンと、鎮痛剤で、タケシはもうほとんど何もできない状態だった。

ときどき、タケシは誰かの指を強く握ってはうっすらと片目をあけた。

キョーコ先生はタケシに声をかけて、ノブが来ていることが伝えた。

ノブはタケシの手を握って、賞状を見せて、こう言った。

「ほら、見て。取ったよ。君のために、どうしても勝ちたかったんだ」

タケシはノブの指を握って、じっと目を見つめた。

二人の心は通じ合った。

ノブはタケシの指にキスをし、こうささやいた。

「さよなら、タケシ。心配ないよ、だいじょうぶ」

タケシはその年の6月に死んだ。

お葬式でノブはしきたり通りふるまったが、まわりから慰めの言葉をかけられると、彼はこう言った。

「いいんだ。もうお別れは言ってあるし、タケシはだいじょうぶってわかっているから」

タケシが死んだことで、二人の友情は終わったものと私は思っていた。

でも、そうではなかった。

タケシの死からちょうど1年後、ノブは髄膜炎で重体になった。

緊急処置室で、ノブは必死で私にしがみついた。

私たちは脅えていた。

ノブは寒気に襲われ、身体をガタガタと震わせた。

でも、医者が処置を終わりかけるころ、ノブと私は言葉では言い表せないような穏やかさに包まれるのを感じた。

すっと、ノブの身体から力が抜け、震えが止まった。

やがて医者と看護婦は部屋を出ていき、ノブと私は見つめ合った。

ノブはすっかり落ち着き、私に向かってこう言った。

「ママ、タケシがたった今、この部屋にいて僕に言ってくれたんだ。『心配ないよ、だいじょうぶ』って」

あなたが死んだとき、泣いてくれる人はいますか?

わたしには居ません。

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