死によって傷ついている人に手をさしのべることはできる。EXILE ATSUSHI


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高校時代に友人が死んだ。
お葬式に行って、棺(ひつぎ)の中で友人は眠っているというのに、僕は怖くてその顔を見ることができなかった。

顔を見てしまったら、友人が死んでしまったということを受け入れなければいけないような気がしてならなかった。

でも、彼のお母さんが泣いているのを見ていたら、そのお母さんに何かしてあげなきゃいけないという思いが湧き上がってきた。

仏教では、人は死ぬと仏様になるといわれている。

亡くなった友だちは、僕の心の中では生きている。
おかしな理屈だけれど、僕がその死を受け入れない限り、僕にとって彼は死んでいないことになると、当時の僕は思っていた。

僕と彼の関係は変わらない。
それでも、もう僕が彼にしてあげられることは何もない。
けれど、今そこで泣き崩れている、彼のお母さんのために、僕は何かをしてあげることができる。

それが今、自分のやるべきことじゃないか?

そう思った僕は、彼が残した詩に曲をつけた。

彼は尾崎豊さんが好きで、詩をたくさん書き残していた。
彼のお母さんが、その詩をまとめて本にした。
その中に、僕がすごく共感できる詩があった。

読んでいるうちに、曲が浮かんだ。

完成したCDを持って、僕は彼の家を訪ねた。

お母さんはとても喜んでくれた。

死そのものには手をつけかねても、死によって傷ついている人に手をさしのべることはできるということを、僕は教えられた。

お母さんは僕らのバンド活動を応援してくれるようにもなった。
バンドのホームページを作ってくれたり、管理人を自ら引き受けてくれた。

お母さんだけではない。

亡くなった彼とは高校から始まったつきあいで、彼の地元の友人たちとは知り合いではなかったのだけれど、そういうことがあってから、彼の地元の友だちとも仲良くなった。

彼らがバンドのライブに来てくれるようにもなった。

彼のお母さんや、彼の友だちとの出会いを、彼がくれたのだと思っている。

彼との関係が、彼の母親や友人たちとの関係に変化したのだ。

それはある意味で、彼が今も生きているということなのだと僕は思っている。

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