悪性リンパ腫で亡くなった母親について語った小籔千豊


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「僕も色んな小学校や大学とかで講演をさせていただくんですが、みなさんに本当に言いたいのは、親孝行をしていただきたいな、ということでございます。僕は座長になる1年前に、母親を亡くしまして。母親が死んだのが、55歳のときです。悪性リンパ腫という、白血病のような、血液のがんで亡くなりました」

「闘病して、1年くらいですかね、亡くなりまして。嫁はんとビックカメラに行って、パソコンを買おうかとしてたときです。貧乏だったので、やっとパソコンを買えるな、どれにしようかなと選んでたときです。クリスマスのときですわ。その時に、オカンから電話掛かってきまして」

「僕のオカン、サバサバしてますし、はっきり言って僕より口が悪い。ホンマに厳しい母親ですから、弱音なんか吐くこともない。めったに電話掛かってくることもないのですが、電話掛かってきたら、『私、入院するねん。一応、言うておくわ』と。これは死ぬな、と思いましたね。そんなことで電話掛かってこないですから」

「それでオトンに電話掛けたら、『うん、そやねん。1月7日に入院する。2週間後に死ぬかもしれん』くらいのことを言われてたらしいんです。それから1年半くらい生かしていただいたんですけれども」

「僕は20歳くらいのとき、1人で生きているような気がしてましたし、親に感謝したこともありませんでした。親孝行って言葉も、山ほど聞いたことはあったんですが、一切、してなかったな、とそのとき気づいたんです。母親のことを大事だなんって思ったこともないし、ましてどちらかと言えば、ちょっと嫌いな存在やったんですけども…母親が死ぬかも分からへんってことになって、『あ、ヤバイ』と思いまして。これ2週間後に死ぬかもしれへん。俺、今まで何もしてこなかったな、ということをもの凄い後悔したんです」

「ですから、みなさんはそういう風にならないでいただきたい。僕も、漫画とか映画とか本とか、親孝行をするって話を読んでも、『なんの話ですか』と思うようなこともありました。居酒屋行って、よそのオッチャンに『お前、親孝行せェよ』と言われても、『はいはいはい』って言って。『(親孝行)やりたなっても、親は死ぬからな』って言われても、『はい、分かってます』って言うてたのに、してなかった」

さらに、以下のように語っていた。
「僕が今日、ここで(親孝行をしろと)言っても皆さん、多分、(親孝行)しないです。でも、もう一回考えてやっていただきたい。ウチの母親、モロゾフのプリン好きなんです。モロゾフのプリンは、硝子のコップやけど丈夫やから、食べた後も麦茶とかを淹れたりして、お蕎麦やそうめんの汁をつけるやつにしてしまうから、ずっと家にモロゾフのプリンのコップが溜まる、と」

「子供ながらに貧乏臭いなぁと思ってたけども、またモロゾフのプリンをもらったら、洗って使ぅてまう、と新喜劇でネタを言ってたんですよ。母親は、僕のことを『何も面白くない』『お前みたいなヤツが芸人としてやっていけるんかい』みたいなことを言ってたんですけど、『モロゾフのプリンのネタだけはオモロイなぁ』と言ってたんですよ。母親からしてみたら、あるあるですよね。面白いな、と」

「モロゾフのプリン、母親は好きやったんですけど、死ぬ当日、それこそ『今日が山だ』みたいな時に、新喜劇終わって行きまして。夕方越えて7時か8時、百貨店が閉まるか閉まらないかギリギリの時に、母親がずっとモルヒネとか打って、あんまり意識もない、話せないような死にかけた状態で、パッと目が覚めて僕の方をパッと見て、『モロゾフのプリン食べたいわ』って言って」

「僕、親孝行をしてこなかったから、『おっしゃ、買ぅてくるわ。待っとけよ』って言って、バイク飛ばして、百貨店に行って。閉まりかけのところで、『すみません、入れてもらっていいですか?』ってお願いして。『モロゾフのプリン、2個ください』と言って買って。『小藪さん、写真とってもらっていいですか?』って言われましたけど、『今日だけは勘弁してください』って言って、そのままバイク乗ってガーッて帰ってるときに、もう死んでるかもしれへん。『早く行かなアカン』って思って、病室をパって開けたらまだ生きてたんです」

「『おっしゃ、買ぅてきたで』って言って、剥いて渡したら、『もう、私プリンしんどい。食べられへんわ』って言われて。こんな安いもの…モロゾフには失礼ですけど、高くないものを、好きやって分かってたのに、なんで俺、今まで買ってこなかったのか、と。しばらくテレビの横に置いてたんですけど、何度か目に入るたびに、母親孝行しとったら良かったな、と思ったんです」

「僕の家は、おもちゃやクリスマスプレゼントを、全く買ってもらえない家やったんですけど。あるとき、母親から『あんたに将棋盤買ぅたるわ』と言われまして。意味分からへんけど、そんなこともあるもんなんやって思って、『あぁ、ありがとう…でも、なんでなん?』って訊いたら、『あのな、お父さんが将棋できるから教えてもらい。これから、上の人に可愛がってもらわなアカンから、将棋、麻雀、ゴルフ、男だったらできなアカン。将棋やったら小学生からできるから、今からやっとき』って言われて。学校では強い方やったんですけどね」

「それで新喜劇に入ったら、誰も喋る人がおらへん。ベテランさんがやってる将棋見てたら、『お前、でやってみるか?』と言われて、やったら『強いな』と言われて。桑原師匠が、めだかさんに『こいつ、将棋強いぞ』って言われて、ベテランさんと打ち解けることができて、今、座長になってるんです。いわば、母親のお陰で座長になったといっても過言ではない」

「母親って、僕らが思ってる以上に、スゴイことを教えてくれたりするんで、今日帰ったら、プリンなのかシュークリームなのか分からないですが、買って帰ってもらいたいな、と思うんですけど」

「母親が、段々死んでいくんです。体調が悪くなっていくのがわかりますし、心電図モニターが横につけられて、お医者さんがやってくる。オトン、妹もいて。母親がいて、苦しそうにしている。それが段々、苦しそうなのも止んでいくんです。『あぁ、死んでいくんや』って思って。それで、お医者さんと看護師さんが並んで。ピッ、ピッ…って鳴ってるのが、すごくゆっくりになって。最後らへんは、ピッ……ピッ……って広がっていって。いつかは、ピーーーっていうのが鳴るんだな、と思ってて」

「母親が生きている姿は、この瞬間からみられへんかも分からへんから、目に焼き付けておこうって思って、ずっと見てたら、静かな病室で妹とか泣いてますけど、ピッ……ピッ……って、ありえへんくらい心拍数が落ちていって。ピッ……ピッ……っていうのが10分くらい続いて、『ピッピ、長すぎへん?』って思って(笑)」

「ピーーーいつやねん、と。10分経ってもまだやって思っても、あと10分経っても、ピッ……ピッ……ピッ……まだあんねんなって。死んで欲しいとは思わへん。だけど、もう死にかけてるから、早くピーーーってくるんちゃうか、お医者さんも見てる。かれこれ、20分くらいピッ……ピッ……ってなってて」

「ピーーーってなって欲しいわけじゃない。でも、20分もあって、思ってたんとちゃうなって思って。もっと、『ピッ……ピッ……ピーーー、お母さ~ん』みたいな感じになると思ってたら、20分くらいピッ……ピッ……って。もう無いなって思ってもピッ、次こそはって思ってもピッって。あまりにも長すぎて。どうやら、ピーーーってなるのが全てじゃないみたいなんですね。結局、死んでるけど、心臓が惰性でちょっとだけ動いているのが続いていくって場合もあるみたいで」

「『もうえぇわ』って思ってたときに、お医者さんが、『もう、そろそろよろしいでしょうか…○時○分、永眠されました』ってお医者さんが言って。そのお医者さんが言った瞬間、父親と妹が『あ~~~~っ!』って言って泣いたんです。…それ、ちゃうやろ、と(笑)」

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