
私には死への恐怖というものがない。
私の最愛の友であり、最高の先生だった母からの教えがあったからだ。
寝るときも、どちらかが旅行に出るときも別れ際にいつも、母はこう言った。
「また、あしたの朝になったら会いましょうね」
それは、母が決して破ることのない約束だった。
私の祖父は牧師だった。
それはちょうど19世紀も終わりの頃で、当時は教会の信者が亡くなると、牧師館の居間に遺体を安置したものだった。
まだ、8歳かそこらの子供だった母には、それはひどく恐ろしいことだったに違いない。
ある日、私の祖父は幼い母を抱き上げ、遺体を安置した部屋へ連れて行った。
そして、祖父はこう言ったという。
「その部屋の壁をさわってみなさい」
そして、続いて祖父はこう母に尋ねた。
「メアリー、どんな感じがするかい?」
「えーと、固くて冷たいわ」
母はそう答えました。
いた
祖父は母をまた抱き上げて、お棺の方へ連れて行くとこう言ったそうだ。
「メアリー、これからお前にやって欲しいことがあるんだよ。今までに頼んだ中で一番難しいことだと思う。でも、もしそれができれば、お前はもう死ぬことが怖くなくなるよ…。いいかい、お棺の中のスミスさんの顔を手で触ってごらん」
母は祖父を心から愛して信じていた。
だから、祖父の言われた通りにした。
「どんな具合だったかい?」
と祖父が母に尋ねた。
「ちょうど、さっきの壁を触ったときと同じみたい」
そう母は答えた。
すると、祖父は説明を始めた。
「その通りさ。遺体はね、古い家みたいなものさ。亡くなったスミスさんは、その古い家から引っ越して出て行ったのと同じなんだよ。だから、怖がる必要はない。古い家を怖がる理由なんかないものね」
祖父のこの教えは母の心にしっかりと根を下ろし、やがて母の傷害を通して大きく育っていった。
彼女には死への恐怖など全くなかった。
そんな母が、亡くなる8時間程前になって、実に変わった願い事をした。
私たちが母のベッドのそばに立ち、懸命に涙を押さえていたとき、母はこう言った。
「私のお墓にお花なんか持って来ないでね。だって、私はもうそこにいないんですもの。この身体から出たらすぐに、お母さんはヨーロッパに飛んで行くのよ。お父さんったら、ちっとも連れて行ってくれないだから」
部屋中が笑いであふれていた。
そして、その夜はもう誰も泣く者はいなかった。
夜もふけて、みんなは家に戻って寝ることにした。
それぞれが母にキスをして「おやすみ」を言った。
母は微笑むとこう言った。
「また、あしたの朝になったら会いましょうね」
でも、翌日の朝6時15分に、医師が電話で母の死を告げた。
そう、彼女はヨーロッパへと飛び立ったのだ。
それから2日後の朝、私は良心のアパートで母の遺品の整理をしていた。
すると、ファイル入れから母が書いたものがたくさん見つかった。
開いてみると、一枚の紙が床に落ちた。
それは、詩だった。
母が作ったものなのか、誰か他の人の作品なのかは定かではない。
ただ、母がとても大切にしていたことだけは確かだった。
しかも、なぜかこの一枚の紙だけが、そのファイル入れからこぼれ落ちたのだった。
愛する人へ
私が死んだら、私が残したものは子どもたちにあげてください。
もし泣くなら、あなたの横にいる人たちのために泣いてください。
あなたのまわりにいるすべての人々を抱きしめ、
私に与えようと思うものをあげてください。
あなたに残していきたいものがあります。
それは言葉よりも、もっともっと素晴らしいものです。
私が出会い愛した人々の中に、私は生き続けます。
その中に私を見つけてください。
私なしでは生きていけないと思ったときは、
あなたの見るものの中に、
あなたの心の中に、
そしてあなたの親切な行ないの中に、
私を見つけてください。
みんなと手を取り合って生きていってください。
でもときが来たら、子どもたちを自由にしてあげてください。
それが、あなたから私への素晴らしい愛の証です。
愛は死ぬことはありません。死ぬのは肉体です。
だから、私の肉体が滅び愛だけになったら、
どうぞ、その愛をまわりのみんなにあげてください。
これを読んで、父と私は顔を見合わせて微笑んだ。
二人とも、その場に母がいるのを確かに感じたから。
そして、朝が来た。
ポーラ・ホワイト